日本の民俗行事に興味を抱いたのは、一言でいえば、社会の底辺に暮らす民衆の苦楽に主眼を置いたところにある。
信州の深山幽谷には今も延々と続く、外から訪れるマレビト(客)を歓待する諸々の祭りが執り行われている。2014年1月14日夜、私は初めて長野県阿南町で行わる新野(にいの)の雪祭りを見にいった。前日の夜から徹夜で富士山のふもとまで車で走り、そのまま山梨県山梨市牧丘町塩平(しおだいら)で、毎年1月14日に行われる道祖神祭と獅子舞を見学。夕方に山をおりて、真直ぐに長野県阿南町へ向かった。標高800mの盆地にある阿南町新野へ着いたのは真っ暗な夜だった。闇に包まれた新野高原は雪で覆われ、細い山道を右往左往しながら夜8時頃、やっと伊豆神社に辿りついた。伊豆神社の駐車場では多くの車がエンジンをかけたまま、深夜に行われる新野の雪祭りを待っている様子だった。
新野の雪祭り(国重要無形民俗文化財、1977年)は由来が古く、鎌倉時代に伊豆の伊東家系が流浪の末に新野へきて、奈良の春日神社に奉仕する薪能を伝え、次いで室町時代に伊勢の国からやってきた関氏が田の神祭りを伝えたと言われる。民俗学家、折口信夫氏が大正15年(1926)に初めて訪れ、雪が降ると稲が咲かせる白い花に見立てる、豊年予祝の神事を「雪祭り」と提案し、「日本の芸能を学ぶものは、一度見る必要のある祭り」と広く紹介した。
夜を徹して舞う仮面の神々(マレビト)は殆ど深夜零時を回ってから出てくる。「ランジョウ(乱声)、ランジョウ」と叫びながら、消防団員らが庁屋(支度部屋)を薪などで叩き、マレビトの登場を促す。続いて、大松明に火が点され、庭の義が始まる。
最初に現われたのは、五穀豊穣を司る最高神、幸法(さいほう)の舞いである。優しい顔立ちの面をつけている幸法は右手に依代の松、左手に火を煽る扇を持って、腰にはホッチョウ(木製男根)をつけて軽快に舞う。地面を摺る動作は反閇と同じで、悪霊を鎮め、春を迎える予祝の意味が込められている。「サイホーはこの地に五穀の豊穣をもたらすマレビトなのである」(『地霊の復権』より、野本寛一著)。続いて、幸法をまねる茂登喜(もどき)が登場し、舞を補う。
その後、競馬(きょうまん)、お牛、翁、海道下り、神婆(かんば)、天狗、八幡(お駒)、しずめ(お獅子)が次々と登場し、最後は鍛治と田あそびが同時進行で行われ、祭りが終ったのは朝8時50分頃だった。
新野の雪祭りは田楽を中心に舞楽、神楽、猿楽、田あそび、能、狂言など、日本伝統芸能の絵巻が徹夜で繰り広げられ、大地の生命を甦らせる舞いは民衆の深い願いが込められている。
仮面は、原始的宗教の儀式や祭礼でよく登場する。人々に仮面をつけることで、神格が付与され、神人一体の様相を呈する。新野の雪祭りで見る、神化された数々の仮面と近距離で向き合うと不思議な感覚に包まれる。そして日本民俗学家の折口信夫氏が言う、「マレビト」を思い出す。
マレビト(客・客人)は稀に来る人、若しくは常世神の二重の意味がある。稀に来る人は境界を去来する旅人であり、異郷からの来客、若しくは漂泊する人々でもある。年の折り目に来訪するマレビトを歓待し、歳豊(さいほう)を祝う民衆の善き行いは心の安寧を与え、子孫繁栄をもたらす。
世は常に陰陽、天地、善悪などが併存し、マレビトを善心で迎えるか、悪にかえすかによって、因果は巡る。(李相海)