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潮騒の国−神島紀行(五)事納め

 毎年12月8日に鳥羽市神島で行われる事納め(コトオサメ)はオクリガミといい、島の人々が一年分の災厄をヤリマショ舟に乗せて払い流す伝統行事である。当日は朝から宮持ちや二ノハンらが木と竹の枠組みに茅の葉を編んで長さ2m、幅50センチの小さな舟を作る。茅舟には紙の人形を七つ乗せ、後ろには牛頭天王を掲げた紅い幟を立てて夕方三時頃に村の災いをたくして海に流す。
 今日(8日)は朝から快晴で、今年三度目に神島へ向かった。昼前に神島港へ着くとカモメの群れが懐かしく迎えてくれた。茅舟作りを見ようと薬師堂へいったが、周りが静かでそのまま島周りに出かけた。神島を一周すると大体2時間のコースで、事納めの行事には間に合う。

神島紀行 神島紀行 神島紀行

 まず向かう場所は恋人の聖地と言われる神島灯台で、そこから潮流の早い伊良湖水道を挟んで伊良湖岬がくっきりと見える。もっと目線を延ばしたところ、右寄りに白い峰が聳え立つ。それは富士山であった。そのまま一人で山を登り、映画『潮騒』のクライマックスの場面で、主人公新治と初江がお互いの愛を確かめあうシーンに登場する監的哨で富士山と青い海を眺めながら一服した。古里の浜を経て八代神社へ戻った時には14時を回った。事納めの行事は15時なのに周りには人の気配が感じない。八代神社でしばらく待つところ、リュックサックを背負う一人の老人と出くわす。後に民俗学家の野本寛一先生とわかった。事納めを見に来た外郷人は二人だけだった。

神島ヤリマショ舟 神島ヤリマショ舟 神島ヤリマショ舟

  午後三時、袴姿の隠居衆や宮持ちらを先頭に鉦を鳴らし、若い衆二人がヤリマショ舟を担いて町中をまわり浜辺に向かう。ヤリマショ舟の通る家屋にはドアや窓が開けられ、町中にはカヤ三本とお米一つまみに賽銭を包んだおひねりを持つ人々が並んでいた。おばあちゃんたちは“オイヤレ、オイヤレ”と口ずさみながらカヤの束を次々とヤリマショ舟に入れる。カヤ、米と銭で山積になったヤリマショ舟はいよいよ西海岸に向かい、海へ送り出す。私は運よく船に乗せられ、事納めの最後まで見届いた。
 人々は日常から外を目指すときによく山の頂上か、海の果てに記憶を寄せている。神島は周りが海に囲まれ、海は生活の場所だけでなく日常から離れた聖地として崇められてきた。神島の一年は事納め行事で終わり、これから新年の準備に取り掛かる。